三国時代おいて隆中は襄陽城から13kmの群山に位置して、諸葛亮の旧居を主体とした襄樊市近郊の文化財の景勝地である。総面積12平方キロメートル、山上の林は竹が青々と生い茂って、雄大で美しく山のふもとのを流れる小川は静かに流れる。諸葛亮は山東の琅邪陽都の人間、三国時代にぬきんでていた政治家、軍事家で、17歳の頃叔父の諸葛玄に従って襄陽に来た。隆中に隠遁し、自ら農業をし、勉学に励み、世間にも注意を払った。そして臥龍と呼ばれるようになり、歴史の上で有名な三顧茅盧と隆中対もすべてここで発生した。
隆中の諸葛亮の旧居は重要な場所の一つだ。西晋鎮南の将軍の劉季和によって公元304年隆中で諸葛亮の旧居に石碑を立てて以来、歴代の人々は隆中のすべての遺跡を貴重な文化財だと見なして、続々と修築した。武侯祠、三顧門、三顧堂、古柏亭、抱膝亭など、記念として建築した。また諸葛亮のいくつかの重要な遺跡を定め名称を付けた。如躬耕田、小虹橋、、半月渓など、次第に形成された隆中の十景は、主に隆中の風景と文物である。